社長コラム
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関西サイディングニュース9月号コラムをアップデートしました。

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今日つれづれ
神戸 睦史<ハウゼコ>

 建築学会広島大会の帰りに、広島平和記念資料館へ訪問した。コルビジェばりの、1階ピロティの水平面を強調した近代日本の名建築だ。設計者の丹下健三は、資料館のコンペで原爆ドームに着目し、資料館から原爆ドームまでを一直線に結んだ都市設計をし、入選した。当時、存廃が議論されていた原爆ドームの保存への流れを作り、現在の広島の都市計画の元を造ったと言われている。
 その資料館の展示は、デジタル技術を駆使して原爆の悲惨さを分かりやすく解説していた。原爆の開発プロジェクトであるマンハッタン計画は、1938年ドイツのオットー・ハーンによって核分裂の発見がなされ、皮肉にも、膨大な資金を投入したアメリカの国家プロジェクトで、1945年に完成した。日本は物資不足で戦争継続不可能との分析があったにもかかわらず原爆を落としたのは、ソ連へのけん制もあるが、原爆を使わずに戦争終結すれば、膨大な資金を投入したマンハッタン計画のお金が無駄になってしまい、議会などで批判される可能性があることも一因であった。また、戦後アメリカが、多くの米国医療関係者を動員して、原爆の効果を検証した。治療できる能力があったにもかかわらず、データ取りに終始し、残念ながら治療は全く行われなかった。扱いは、モルモットそのものだ。
 資料館の展示は、全体的に、以前に比べて悲惨さが伝わりにくくなっていたように感じた。依然、ホロコーストや満州事変、日中戦争、アヘン戦争等の世界の歴史博物館を見てまわったが、その当時一番被害を受けた大衆の恐怖や痛みを実感できるような工夫がそれぞれでなされていた。被爆者の子供による語り部の会や、フィルムによる上映会も見たが、いずれも客観的なのは良いが、その当時の苦しみや悲惨さはずいぶんマイルドになっているように思った。2011年に起こった東日本大震災による福島原発のメルトダウン。二度と起こしてはならない事故だと思うが、その一番の教訓である平和記念資料館のマイルド化が、とても残念だ。