姫路城下の油・金物商から歴史を刻む。
ユネスコの世界文化遺産に登録され、日本100名城にも選定されている兵庫県姫路市の国宝「姫路城」
江戸時代が始まる頃、伊勢の武将であった神戸氏が、池田輝政の与力として姫路城の築城に協力しました。その子孫が御用商人となって屋号を「油清」とし、油及び刀剣鎧古物商・金物商を始めたのが、ハウゼコのルーツです。
江戸時代の姫路城下地図 明治11年の大福帳には、軒樋や真鍮、油の売買の記録が残っています。
前会長神戸雅弘の曽祖父・神戸清次郎
明治11年の大福帳 明治4年、廃藩置県が行われ、明治6年廃城令が布達されました。姫路城も取壊しが検討されましたが、その永久保存を陸軍省と共に協力して行うために、現会長神戸雅弘の曽祖父・神戸清次郎が23円50銭で一旦落札し、翌年2割上乗せして陸軍省に売却しました。 落札の際、酒井忠邦城主より東屋敷庭前に据置かれた雪見灯篭(芥田匠作)を購得し、これを明治25年に第十連隊本部へ寄贈した際に「撮歴縁起」書と銀杯を拝受しました。
明治25年に「撮歴縁起」書と銀杯を拝受 神戸雅弘の祖父・神戸清吉の時代、大正期の日本の経済は不景気で商売も逼塞しました。昭和4年には、その子・神戸保之助が大阪で有限会社神戸保之助商店を設立。日本鉄板株式会社の特約店として近畿・東海・北陸・山陽・四国に営業基盤を築き繁盛しましたが、第2次世界大戦で鉄が統制品となり、また社員と自身の召集により会社は解散しました。