西日本サイディングニュース9月号掲載
盆休みに中国の西安と北京に行ってきた。
西安は秦、漢、隋、唐など13の王朝の都として、またシルクロードの起点として栄えた。
シルクロードは、当初西安からシリアまでだったが、のちにローマから日本の東大寺まで伸びている。
中国の歴代王朝の中で漢民族が皇帝になった王朝は意外と少ない。
AIに尋ねると、漢・晋・隋・唐・宋・明の6つと出てくるが、現地の中国人に聞くと、唐の皇帝は北方騎馬民族の鮮卑族の出身だという認識で、そう考えると、5つということになる。
7世紀、唐の時代に、玄奘三蔵法師がサンスクリット語の経典を西安の大慈恩寺に持ち帰り、同師が没する664年に翻訳を終えた。その40年後の703年には、早くもその経典が薬師寺に伝来している。玄奘三蔵法師は、法相宗の開祖だが、日本で建立されている法相宗の寺院は、興福寺と薬師寺だけなので、日本仏教の重要な源流の一つとなった寺といえる。同じ時期に阿倍仲麻呂は、唐の高官として生涯をささげ、唐の高僧・鑑真は日本に渡り東大寺や唐招提寺の建立に尽力した。
遣唐使として西安に渡った空海と最澄は多くの経典を日本に持ち帰り仏教伝来に貢献した。当時の唐は、中国の王朝とユーラシアの遊牧諸民族の双方から認められた盟主の称号、初めての「天可汗(てんかがん) 」として両地域を統治。皇帝が鮮卑族の出自であったこともあり、多様な文化が交錯するコスモポリタンな街として栄えていたようだ。そこには、ユーラシア各地との交流を通じて、宗教や文化が政治・外交に果たす役割についても、さまざまな情報が集まっていたのだろう。
そうした国際的な環境にあった唐だからこそ、日本との関係を築くうえでも、宗教や文化の違いを越えて交流することを重視し、日本への仏教伝来についても寛容だったのかもしれない。秦の始皇帝陵で有名な西安だが、仏教伝来の足跡をたどる旅としても楽しめた。
