社長コラム
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西日本サイディングニュース5月号掲載

社長コラム

先日、母と妻と三人で法隆寺に行ってきた。昨年父が亡くなってから、3人で月に1回御朱印集めをすることが新たな恒例行事となった。父はもともと足が悪く、寺社仏閣にも興味がなかったので、寺社仏閣好きの母は86年間我慢していたようだ。父が亡くなってから堰を切ったように寺社仏閣を嬉々として参っている。御朱印を集めてみると、それぞれの寺社のお坊さんが様々な文様を描いてくれる。達筆な方もおられれば、それなりの方もいて、3人でここはうまい!とかここは下手!と、ヤイヤイ言いながら参るのも楽しい。

法隆寺は、京都のインバウンドによる喧騒とは打って変わって、静かな境内の中を散策することができた。世界で最古の木造建築にもかかわらず、注目度が高くないことに少し驚いた。飛鳥時代に建立された希少価値が高い寺院。国宝の建造物18件、美術工芸品23件、重要文化財の建物30件、美術工芸品等100件以上。これだけの宝物が見ることができるのに、京都や奈良公園等の観光ルートから外れているので、海外旅行客からは注目度があまり高くないようだ。

法隆寺には、飛鳥時代から江戸時代まで多くの仏像を見ることができるのだが、国宝の百済観音像をはじめ、飛鳥時代の仏像を見ることができる寺院はそうそうないだろう。なかでも飛鳥時代と奈良時代以降では明らかに仏像の顔の作風が違っているのを見比べられるのは、貴重な体験だろう。奈良時代以降の仏像は、見慣れている仏像の顔立ちなのだが、飛鳥時代のものは、異国情緒漂う表情をしている。日本が大陸から取り入れた仏教文化が、日本独自のものとしていったのが仏像の意匠にも表れているのだろう。

飛鳥時代、日本の上流階級には渡来人の割合が高く、日本という国の礎を築いた先人達は、海の向こうから来た人たちの割合が多かった歴史がある。この背景を仏像の顔の変遷から見て感じることができた。